志摩市阿児町志島の志島古墳群4号墳(塚穴(つかあな)古墳)
=市指定史跡=を発掘調査していた市教委は29日、
石室から金銅製品など多数の副葬品が見つかり、
古代の志摩国を治めていた国造(くにのみやつこ)級の墓である
可能性が高まったと発表した。
石室は県内で伊勢市豊川町の高倉山古墳に次ぐ大きさで、
国造級の墓との見方が示されたのは初めて。
塚穴古墳は志摩半島南東部の海に面した高さ12メートルの断崖の上に
造られた。
だが、海蝕(かいしょく)が進み石室が崩落する恐れが出てきたため、
2年前から3カ年計画で発掘調査が行われている。
石室の玄室は全長7・7メートル、幅2・2メートル、
高さ2・5メートルの規模で、志摩国域では最大規模だ。
内部から、武器の鉄鏃(てつぞく)数点、
棺に使われた鉄釘(くぎ)20点以上、銅碗(どうわん)1点、
馬具に使われた大小の鈴計4点、さらに金銅製の耳環や
石で作られた勾玉(まがたま)、ガラスの丸玉などの装身具10点など、
豪華な副葬品が多数見つかった。
用途不明の金銅製品も約20点あった。
出土遺物の形状などから市教委は、塚穴古墳は6世紀末から
7世紀初頭にかけての飛鳥時代に造られ、複数人が埋葬されたと推定。
造りに三河地域の影響がみられるが、多数の金銅製品の存在から被葬者は、
大和の勢力との盛んな交流によって地位を獲得し、
維持した人物と想定している。
志島古墳群はかつて13基以上あったが、現在は塚穴古墳を含む
4基しか残っていない。
いずれも海から見えやすい場所に造られている。
11月10日午前10時から現地説明会を行う。
問い合わせは志摩市教委生涯学習スポーツ課
(0599・44・0339)。
ソース(毎日.jp)
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