全国約二千人いる海女のうち、最多の約九百七十人が従事している鳥羽、志摩地域の海女文化について、県が国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産登録に向けた取り組みを活発化させている。太古から続く素潜り漁に文化的な価値を見いだそうとしている県に対し、専門家からは「『漁村の要』としての考え方も必要」との声が出ている。
(県政・廣瀬秀平)
来年の開館に向けて準備を進めている新県立博物館の厳重な扉で閉ざされた資料庫の中に、一冊の貴重な資料が保管されている。明治時代に編集した「三重県水産図解」(県指定有形民俗文化財)で、当時の県内の水産にまつわる図や解説を掲載している。
海女の図は、見開きで計二枚ある。一枚は、海女と舟人が舟に乗り、海に潜った海女が舟に上がるまでの順番を紹介。もう一枚は、漁を終えた海女が輪になって浜辺のたき火を囲み、体を温めたり、髪を整えたりしている場面を描く。
県は今年七月、海女文化の県無形民俗文化財指定を県文化財保護審議会に諮問した。本年度内に結論が出る見込みで、指定後に国重要無形民俗文化財指定、ユネスコ無形文化遺産登録を順次目指す。
県教委社会教育・文化財保護課の小学主幹は「素潜りという形は今も昔も変らず、連綿と受け継がれている。こういった漁法はほかになく、文化財としての価値は高い」と評価している。
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県内の海女の歴史は古く、「万葉集」に詠まれ、平安時代の「延喜式」には「志摩の潜女(かづきめ)」の記述が残っている。白浜遺跡(鳥羽市)から素潜り漁の漁具が出土し、縄文時代には存在していたとの見方もある。
三重大学人文学部の塚本明教授(日本近世史)によると、興隆に最も深く関係したのは伊勢神宮を中心とした参宮文化。伊勢を訪れた旅人に海産物を提供したほか、土産物としてのしアワビが重宝され、販路が確保されていたことが大きいという。
塚本教授は「昔は海女漁が保護されていたと言える。当時も高価だったアワビは捕れただけ売れ、海女は漁村での女性の仕事として確立していた。現代の男女共同参画の先駆けだ」と説明する。
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海女漁は近年、衰退の一途をたどり、県内も例外ではない。平成元年に約二千人いた県内の海女は約半数まで減少し、六割以上が六十代以上で高齢化と後継者不足が進む。
厳しい状況を打開するため、これまで鳥羽、志摩両市で開いていた「海女サミット」が先月二十六、二十七日、石川県輪島市で初めて開催し、ユネスコ無形文化遺産登録を目指す大会アピールが採択された。
サミット後には、鈴木英敬知事と石川県の谷本正憲知事が、文化財保護と漁業振興での協力で合意。来年一月には、鈴木知事が呼び掛けた全国組織「全国海女文化保存・振興会議」が発足する。
ユネスコ無形文化遺産登録に向けた機運は高まりつつあるが、海の博物館(鳥羽市)の石原義剛館長は「ユネスコ無形文化遺産登録は一つの通過点にすぎない」と指摘。「漁村は海女を要として繁栄してきた。資源管理や環境保全も含めて考え、海女の存在を維持しながら漁村の人々が今後も住み続けられるような社会にすることが大事だ」と話している。
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